目に見えないお年玉
新年早々娘に「精神的にも経済的にも自立したい」こんなことを言っている私がいた。
ビックリしている娘を見て「離婚って意味じゃないよ!」って言いながらなんでこの言葉が出てきたのか
分からなかった。
それから暫くして再びこの言葉が頭に浮かびだした。
結婚して直ぐ、なぜか「自由になった!」って気がしてすがすがしさを感じたことを思い出す。
両親と暮らすことで見えない束縛を感じていたんだと思う。
そのすがすがしさも一瞬にして消えてしまった。
主人が私を幸せにしてくれるって信じ込んでいたんだね。
それが、あっけなく幕を閉じることになったから…。
そのうち、子どもが産まれて次第にお母さん役に生き甲斐をみいだしていく(無意識に)
私はその場面場面で目の前にいるひとに依存していたんだと思う。
最初は両親→次は主人→こどもと言う順に、期待に応えてくれなくなると次→次って感じで。
依存というより執着。
まさか、これが自分の思考パターンだともしらず…。
子どもに私が執着したまま結婚したら…想像通り奪い合いの戦いになるだろう。
子どもの幸せを願うと言いながら、結婚した子どもの生活の境界線を越え干渉していただろう。
ああすればいいのに…こうすればいいのに…。
そんな自分を知っているから、気づけた。(そんな自分を受け容れたと言った方がいいかも)
この執着を手放して自分自身を構築し自立した私でありたい。
たとえ、ひとりになっても私自身を見失わない私でありたい。
そんなことを考えていたら
両親から束縛されていたように感じていたけど何を束縛されていたのかな?ってみたとき
私は自由だったことに気がついた(いまさらですが…)やりたいことをさせてもらってた!って。
そのことを忘れていました(笑
きっと悲劇のヒロインになるために忘れることが大切だったのね(笑
自分を受け取ることをやり出して、忘れていた過去を思い出すようになった。
その過去は見たくない思い出したくないものだったりするけれど
それを逃げずにただ受けとめていくとその陰にいつも恩恵が隠れている。
そこで深い受け取りが再び訪れる。
いまさらですが、私自由だった、そして愛されていたんだね♪
両親に…o(^-^)
当たり前のことわかるのに何年かかてるんじゃ!って感じ♪
-------------------------------------
←ぽちりも愛情表現のひとつです笑…。
ビックリしている娘を見て「離婚って意味じゃないよ!」って言いながらなんでこの言葉が出てきたのか
分からなかった。
それから暫くして再びこの言葉が頭に浮かびだした。
結婚して直ぐ、なぜか「自由になった!」って気がしてすがすがしさを感じたことを思い出す。
両親と暮らすことで見えない束縛を感じていたんだと思う。
そのすがすがしさも一瞬にして消えてしまった。
主人が私を幸せにしてくれるって信じ込んでいたんだね。
それが、あっけなく幕を閉じることになったから…。
そのうち、子どもが産まれて次第にお母さん役に生き甲斐をみいだしていく(無意識に)
私はその場面場面で目の前にいるひとに依存していたんだと思う。
最初は両親→次は主人→こどもと言う順に、期待に応えてくれなくなると次→次って感じで。
依存というより執着。
まさか、これが自分の思考パターンだともしらず…。
子どもに私が執着したまま結婚したら…想像通り奪い合いの戦いになるだろう。
子どもの幸せを願うと言いながら、結婚した子どもの生活の境界線を越え干渉していただろう。
ああすればいいのに…こうすればいいのに…。
そんな自分を知っているから、気づけた。(そんな自分を受け容れたと言った方がいいかも)
この執着を手放して自分自身を構築し自立した私でありたい。
たとえ、ひとりになっても私自身を見失わない私でありたい。
そんなことを考えていたら
両親から束縛されていたように感じていたけど何を束縛されていたのかな?ってみたとき
私は自由だったことに気がついた(いまさらですが…)やりたいことをさせてもらってた!って。
そのことを忘れていました(笑
きっと悲劇のヒロインになるために忘れることが大切だったのね(笑
自分を受け取ることをやり出して、忘れていた過去を思い出すようになった。
その過去は見たくない思い出したくないものだったりするけれど
それを逃げずにただ受けとめていくとその陰にいつも恩恵が隠れている。
そこで深い受け取りが再び訪れる。
いまさらですが、私自由だった、そして愛されていたんだね♪
両親に…o(^-^)
当たり前のことわかるのに何年かかてるんじゃ!って感じ♪
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←ぽちりも愛情表現のひとつです笑…。
by siawase0604 | 2014-01-11 10:25